夏の風物詩でもあるすいか。ご家庭でも食べる機会が多く、人気の野菜でもあります。
普段何気なく食べているすいかですが、そもそもどこから来たものなのか、起源や歴史を知っている方は少ないのではないでしょうか。
この記事では、知られざるすいかの歴史について解説します。
すいかの歴史
すいかはどこで生まれて、どのように日本にやってきたのでしょうか。まずはすいかの歴史について、解説しましょう。
原産地は南アフリカ
すいかの原産地は、南アフリカのカラハリ砂漠だといわれています。
1857年、イギリスの医療伝道者リビングストン氏が、カラハリ砂漠ですいかの野生種を発見しました。この出来事がきっかけで、すいかの原産地は南アフリカだといわれるようになったそうです。
またすいかの栽培自体は、今から4000年以上も前のエジプトやインドなどで行われていたそうです。現に当時のエジプトの壁画には、すいか栽培の様子が描かれています。
すいかは、とても歴史のある野菜だといえるでしょう。
日本に来たのは平安時代?
日本にすいかがやってきたのは、平安時代ではないかといわれています。
すいかは原産地からシルクロードを渡り、中国に伝わりました。平安時代の絵巻物「鳥獣戯画」にはすいかのようなものを持ったウサギの姿が描かれていることから、中国に渡った後に日本へやってきたのではないかといわれてるのです。
他にも、16世紀頃にポルトガル人によって日本に伝わったなどの説があり、どちらが正しいかは明確にわかっていません。
しかし平安時代の日本は唐文化との交流が盛んでしたし、この時代に中国からすいかが伝わったとされても、なんらおかしいことではないといえるでしょう。
江戸時代には栽培が盛んに
江戸時代には、日本でも盛んにすいか栽培が行われるようになりました。
江戸時代に書かれた「農業全書」には、すいかの品種についての記述があります。更に1702年の「摂津名所図会」にも、摂津国に「鳴尾西瓜」と呼ばれる美味しいすいかの品種があったことが書き残されています。
徳川中期以降、すいかは換金作物としての役割も果たすようになりました。青森や三重、京都など、全国でさまざまな品種のすいかが栽培されるようになり、江戸時代の人々の身近な食べ物となったのです。
すいかの品種改良の歴史
明治から大正時代にかけて、日本には海外からさまざまなすいかの品種が導入されるようになりました。
アメリカからは「アイスクリーム」「マウンテンスイート」、ロシアからは「スイートサイベリアン」、中国からは「嘉宝」など。実に多様な品種がやってきて、日本に根付き始めたのです。
その後自然交配が繰り返され、品種改良の元となるすいかの品種「大和」が誕生。「大和」をもとに新たな品種が多数誕生し、現在のすいかの基礎となりました。
鳥取県のすいか栽培はいつから?
鳥取県のすいか栽培が始まったのは、明治時代からです。
そして終戦後、すいかを主力作目としたことから、栽培が一気に拡大しました。現在では全国トップレベルの生産量を誇る、すいかの名産地となっています。
県中部、西部を中心に栽培されており、特に北栄町で栽培されるすいかは「大栄すいか」と呼ばれ、全国的にも高い人気を誇るブランド品種となっています。
まとめ
すいかの原産国は、南アフリカのカラハリ砂漠だといわれています。諸説ありますが、日本へ伝来したのは平安時代だという説が有力です。
鳥取県では、明治時代からすいかの栽培が始まりました。終戦後には栽培が更に拡大し、今では全国屈指のすいかの名産地となっています。
普段何気なく食べているすいかの裏には、長い長い歴史があります。この夏はぜひ、すいかの歴史に想いを馳せて。いつもよりすいかを味わって食べてみてはいかがでしょうか。